
(ALITTLE HISTORY)
デューイウェーバーはサーフィン界のアイコンとなった後もその勢いはシェープだけにとどまらず、プロモーションにおいても能力を発揮していきました。

ドナルドタカヤマ、デビッドヌィーバ、ナットヤング、ジャッキーバクスター、ハロルドイギー、レラサン(マカハの女王としてられるサーフクィーン)など全米、ハワイ、オーストラリアの各地からチームライダーを募り、彼らにチームカラーの赤をイメージした”レッドコート”を着せ、ビーチを席巻しました。
そうしてサーフィン界のアイコンとなったデューイは彼は、サーファーというライフスタイルを生み出し、そのスタイルをカリフォルニアのカルチャーとして全世界に広めたのです。
それは当時誕生したばかりのサーフビジネスのリーダーとなり、サーフビジネスをその後に続く巨大な産業へと転換させていく原動力となった事を意味し、後世の多大な評価につながる事となりました。

1966年、初代「パフォーマー」モデル発売開始。
1966年、27歳のデューイウェーバーは、「最初のホットドガー」としての功績が認められ、国際サーフィン連盟の殿堂入りを果たした最初のサーファーの一人になりました。
1967年に発売された「2代目パフォーマー」は、当時のサーファーが求めていたすべてを盛り込み、空前のヒットとなり、24時間体制で毎日100本のサーフボードをつくったという伝説を残しました。この「2代目パフォーマー」こそ、世界最速のテイクオフボードとして現在も作り続けられている「ウェーバーパフォーマー」なのです。
PLANER(プレイナー)
モダンノーズライダーの決定版。パフォーマー同様のテイクオフとスタイリストのコントロールを兼ね備え、その上、その両方を上回るノーズライディングの性能があります。