1980年生まれのデーンピーターソンはカリフォルニア随一のメジャーポイントであるマリブにおいてそのキャリアを開始しました。
1990年代に入りハイパフォーマンスロングボードによってロングボードがリバイバルを遂げる中で早くから周囲の影響を受けシングルフィンロングボードの世界に没頭し、そして才能を開花させました。
当時マリブにはデーンより5~10歳くらい年長のマットハワード、ブリタニークイン、ジョシュファブロー、ジミーガンボア、タイラーハジキャンたちが黒一色のウェットスーツに身を包み、重たいシングルフィンロングボードに乗り、ノーズライディングをするという新たなムーブメントを興し、それにジョエルチューダーが加わり一気にシングルフィンロングボードの流れを加速させていきました。
それはアレックスノスト、ロビンキーガル、ジャレッドメル等を中心とした現在の世界のロングボードシーンのメインストリームへと続くわけですが、マリブで興ったそのムーブメントは当時はまだ一部のコアなサーファーたちの間だけのものでした。
デーンピーターソンは彼らの中では最年少のグループでしたが彼の才能は他を抜きん出ており、若きスタイルマスターとしてその名を定着させました。
そしてトーマスキャンベルの出世作として知られ、その後のロングボードシーンに多大な影響を与えた「シードリング」に出演し一気にスターダムに上り詰めました。
その後、オーストラリアに約10年の間渡り住みシェーピングを始め、数年前カリフォルニアに戻ってきました。
シーコングとの関係は2003年頃、オーストラリアに移住したデーンが当時取扱っていたサウコーストというブランドのライダーになりプロモーションのために来日した頃から始まりました。
サウスコーストの『デーンピーターソンモデル』はまたたく間に人気モデルとなり、ウェーバー、ハーバーというクラシックブランドとともにシーコングのシングルフィンロングボードへの転換期に重要な役割を成し遂げました。
また当時シーコングのスタッフが大学を卒業後にオーストラリアにワーキングホリデーで滞在中、半年間の間デーンの家に居候をしていたこともあり、またその後も各地のイベントにて顔を合わせていたこともあり続いていました。
そして今から約5年前、デーンはサーフィンの最中に脊椎を損傷し、突然サーフィンとシェーピングから遠ざかざるを得なくなりました。
その間、デーンはオーストラリア在住時に学んだ写真撮影の知識をいかし、フォトグラファーとして活動をはじめました。
彼の作品はサーファーズジャーナル誌などの専門誌だけではなく、サーフアパレル全般、そして「ヴォーグ」など海外の超メジャーなファッション誌でも取り扱われ、本格派のフォトグラファーとしての地位も確立しました。
今年の3月、デーンより症状が回復しサーフィンとシェーピングに復帰するとの連絡がありました。
シーコングではすでに数多くのスターブランドを抱えており、その頃はブランドを増やす予定はなかったのですが、カリフォルニアはもとよりオーストラリアで絶大な人気と影響力を誇る“大物”であることもあり、すぐに取扱を決定しました。
彼の作るサーフボードは2010年代に入り大きな注目を浴び、そしてその後のサーフシーンに大きな影響を与えました。
2000年代の後半、ロビンキーガルはアレックスノストともにノーズライダー一辺倒だったシングルフィンロングボードに“ピッグ”を持ち込み、ロングボードの新たな可能性を広げていきました。
そして2011年、カリフォルニアのサンタクルーズで行われた「ダクトテープ」においてあのアレックスノストはそれまで使用していたロビンキーガルシェープのボードからデーンピーターソンのシェープしたボードに乗り換え優勝し、続くその夏にマリブで行われた同大会にもデーンのボードによって優勝を飾りました。
当時アレックスはデーンを尊敬してることを公言していましたが、その影響はまたたく間にカリフォルニア、オーストラリアのロングボード界に波及していきました。
アレックスはもとより更にピッグを意識したライディングをするジャレッド、タイラーウォーレンらにそのシェープはより大きな影響を与え、世界の主流のマニューバーである「スイング」とノーズライディングの組み合わせに最適なモデルとなりました。
そして現在、世に出回っているほぼすべてのパフォーマンス性の高いピッグはデーンピーターソン系と呼ばれています。
特に彼のデザインするボードは、彼のライディングの特徴でもある波の縦方向にかけてもボードがコントロールできるように全体的にカーブの多いデザインになっているのが特徴です。
写真をメインとしたアーティストでもあるデーンピーターソン。
サーフィン、シェープ、アートにおいて才能を発揮できるシェーパーはロビンキーガル、マットハワードなどごく限られた存在です。
彼の創造性がいかんなく発揮されたそのサーフボードはまさに彼の芸術的作品と呼べます。
ぜひ今後のデーンピーターソンと「アンヒンジドサーフボード」にご期待ください。