『歴史に名を遺す、唯一無二の現役レジェンドサーファー』
1963年1月1日、人類史上初となるレギュラーフッターによるパイプラインをメイクした男、ジョン・ペック。
1944年ロスアンゼルスで生まれたジョン・ペックは15歳でサーフィンを始め、その後、彼の家族とともにワイキキに引っ越しました。
1960年に行われたマカハ・インターナショナルのジュニア部門で4位を獲得したことにより早くから名声を得、世間の注目を浴びる存在となりました。
そして前述のように1963年、歴史に名を残すサーファーとなりました。彼のスリリングなライディングは当時の名作フィルムにも数多く残され現代に語り継がれています。
その後も数々のコンテストで好成績を収めることとなったジョンですが、彼は当時のサーファーの定番スタイルであったボタンダウンやTシャツ、短い丈のトランクスにベアフットとは異なり、イギリスのモッズスタイルに身を包んでビーチに現れることによってその人気に一層の拍車をかけ、彼の乗る「ペネトレーター」とともに、当時のサーフィン界で最も有名な存在となりました。
しかしながらベトナム戦争による当時の社会風潮の悪影響により、多くのサーファーとともにドラッグ接種と関与によってその輝かしい名声も終わりを迎えることになりました。
そして1990年代半ば、ジョン・ペックは再びビーチに現れました。彼はすでに一切のドラッグとアルコールを断ち、精神と肉体の改善と進化を試みるためにヨガを取り入れ、まるで仙人のような風貌を伴って再びサーフィンの世界に戻ってきたのです。
それ以来、ジョンは世界を旅し、少ないながら彼の名とともに一時代を築いた相棒の「ペネトレーター」をシェープし、後世にボードの魅力、ヨガの教え、ドラッグの危険性を伝えようと活動を続けています。
シーコングとジョン・ペックの接点は2009年の夏に始まりました。8月のある日、成田空港にロビン・キーガルを迎えに行くとそこにジョン・ペックがいたわけです。傍若無人のロビンに対し、まるで自分の若いころを見るようなあたたかい目を向けていました。
当時すでに63歳であったはずですが、その鍛え挙げられた肉体は年齢を感じさせず、私たちの要望に応えて封印していたシェープを再開することを約束してくれました。
カリフォルニアでは今でもビーチを歩く彼に対し、人々は最大限の敬意を払います。彼ほど偉大でドラマチックな人生を生きる現役のレジェンドは他にいないと誰もが知っています。ジョン・ペックのボードを手にするということはカリフォルニアのサーフシーンをリスペクトした真のサーファーという意味で特別な意味を持ちます。
神様ジョン・ペックのボードはまさに皆様の人生の記念すべき1本となることでしょう。